
「寮」という字の原義は、庭の燎火(かがりび)を以て守る神聖な建物をさし、その職制にあるものを「僚」(cf.同僚)というのだそうです。
世界が流動、混迷の度を深めるなかで、ぼくたちは今、新たな燎火を灯し、世界のありようを照らし直していくことを求められているように思います。そんな中、複数の若者が集い、生活を共にする「寮」という空間は、何かの始まりを告げる、大切でかけがえのない場所になると思います。
それは、堅固な同一性(アイデンティティ)神話で縁取られた「自分」でもなく、また等質で閉じた領域となりがちな「共同体」でもない、新たな being とdoing に開かれた第三の場所ではないでしょうか。
「地域にひらかれた学生寮」が、学生はもちろんのこと、地元のじっちゃん、ばっちゃん、おじさん、おばさん、子どもたちの声が響き、複数のアイデンティティや、複数のココロザシ、複数の生き方が交差交響する「燎火の庭」となることを願ってやみません。
桜井という地での、新しい伝統の始まりにエールを送ります。